音価について。音楽は時間に縛られているけど、生きてるんだ!
ようこそ!ブーです。
今日は、あれだけ自由だって言ってた音楽が、実は完全に時間に縛られていることについて、音価と時間の関係、音楽だって生きている!ということを書きます。
音楽は時間芸術!
音楽は「音による時間の表現」と考えられています。
時間という空間の流れの中で表現されるので、時間芸術と呼ばれているんです。
音楽と言えば、何かしらの音が鳴っているということが必須で、その音でさまざまなもの、感情を表現する芸術であります。
音が時間に縛られている理由
音が音波という波で出来ていて、その波が時間という空間の流れにのって私たちに伝わるから「音楽は時間に縛られている」と言えるんです。
たとえば、音の大きさは波の高さと一緒で、高いほど大きく、低いほど小さく、
音の高さは波の振動数に関係していて、緩やかなほど低く、細かいほど高いんですよ!
この波の振動はそのままの速さで、時間と呼ばれる空間の中を344m/s、1秒間に344m進んで私たちの耳に入ってきます。
空間があって時間が経過しないと音は進めずに止まってしまうので、音楽は時間が無いと存在できなくて、完璧に時間に縛られています。
でも、空間全部を音楽ととらえるなんて、すごく壮大ですよね。
Note valueノートバリュー(音価おんか)
言語学上の音価
言語学上での音価は、書いてある文字がどのような音、音声なのかを書いているものです。
旧仮名遣い(現代のひらがなの使い方とは違うもの)を書いたときなどに「てふてふ」は「tyo‐u‐tyo‐uちょうちょう蝶々」、「けふ」は「kyo‐uきょう今日」 と読むことがわかるように、説明としてローマ字やひらがな、カタカナなどで書かれています。
音楽理論上の音価
音楽上での音価は、楽譜に書いてある音符と休符の長さ、1つの音符や休符が次の音符や休符に行きつくまでの楽譜上の距離です。
行きつく時間とは言っても、10秒で1拍を弾いても、5秒で1拍を弾いても、同じ1拍には変わりがないので、音楽は演奏する速さによって聴いている時間は変わってきます。
ですが、楽譜の中での音価の1拍という価値は変わりません。
音価の説明が分かりやすいように、ちょっとだけ音符と休符について書いておきます。
音符の種類、音符は全音符(ぜんおんぷ)が基準になります。
全音符は1小節の長さ、2分音符(にぶんおんぷ)は全音符の2分の1の長さ、4分音符(しぶんおんぷ)は全音符の4分の1の長さ、8分音符(はちぶんおんぷ)は全音符の8分の1の長さです。
本当は、2分の1音符とか呼びたいところだけど長すぎるから2分音符と短くしてあり、呼び方は「にぶおんぷ」でも「にぶんおんぷ」でもよいです。
休符の種類、休符も全休符(ぜんきゅうふ)が基準になります。
全休符は1小節の長さ、2分休符(にぶんきゅうふ)は全休符の2分の1の長さ、4分休符(しぶんきゅうふ)は全休符の4分の1の長さ、8分休符(はちぶんきゅうふ)は全休符の8分の1の長さです。
こちらも呼び方は「にぶきゅうふ」でも「にぶんきゅうふ」でもよいです。
ただし拍子が変わったら全音符のみ音価が変わるときもあります。
(ややこしい…)
では音価の説明に戻りましょう。
この楽譜は「4分の4拍子」なので4分音符が基準になり、1小節には4拍分の音価を入れなければいけません。
2分音符は2拍分の音価、4分音符は1拍分、4分休符は休んでいるけど1拍分、合わせて2拍+1拍+1拍=4拍です。
速さが変わったとしても4拍分の音価ということに変わりはありません。
こんな風に音価が無ければ、音に長さという個性がなくなってしまうので、これが音価の1番重要な部分といえます。
そして、作曲家も「ここは感情を込めたいから長い音符にしよう、ここは元気な感じにしたいから短い音符にしよう、余韻を楽しむために休符を入れよう」と思っても、音価がないと表現できません。
ですがいくら音価が大事でも、音が小さくなってだんだん消えていくことを、私たちの耳はあまり聴き取れていません。
それにピアノなどの大きい楽器などは、途中で音価をやめなければ次の音に届かなかったり、弾くことが難しい場合もあるんです。
そういうときには、楽譜に書かれている音価の長さを演奏の途中でやめることができます。
といっても、あんまりブツッと切ったら変なので気をつけましょう。
音楽は生きている!
観ることによって価値が決まる絵画とは違って、音楽は演奏しなければ何も伝わりませんよね?
もし、音楽を全然知らない人に楽譜を渡しても、絵画のように眺めて楽しむことはできないと思います。
それは、音楽が他の芸術と違って楽譜という台本をもとにして、作曲家が想像した音楽を再現しようとする芸術だからです。
演技(演奏)を観て(聴いて)もらうことが必要なので、再現しようとしているときは、常に動いて進んでいるということです。
音楽は、時間という空間の流れで育っている人間と同じで、生きているし成長もします。
ブーは、自分の演奏を「自分の分身、自分の子ども」くらい大事に思っていて、大切に育てて演奏しています。
演奏者が「これでこの曲は完璧、完成」と思った時点で成長はいったん止まりますが、演奏するたびに違った表情を見せてくれるんですよ。
それは、会場によっても違うし、前半飛ばしすぎて後半バテたり、後半ノリノリで速くなったり、常にフレッシュ(新鮮)なものを観客の方にお届けしております。
なので同じ曲、同じ演奏者でも100%同じということはないんです。
良い演奏だったら「今日の演奏すごくいいな、調子いいのかな?」とか、ヒドイ演奏でも「今日の演奏はグダグダだな、何かあったのかな?」とか考えながら観るとおもしろいですよ。
生きてる音楽とその臨場感を楽しんでね!!