三浦大知さんが披露した「歌声の響」
ようこそ!ブーです。
話題にするには遅くなりましたが、2019年2月24日(日)に行われた天皇陛下御在位三十年記念式典にて、歌を披露した三浦大知さんと演奏された「歌声の響」という曲に感動したので、ご紹介しようと思います。
演奏の様子はこちら↓
三浦さんの歌声が少し上擦ったり、最後の部分のヴァイオリン演奏がブレて「キー」という音が入ったりと、緊張感が伝わってくる演奏でした。
意地悪で言っているのではなく、世界で活躍するような「日本を代表する音楽家」たちが声や手を震わせるほど一生懸命にこの曲に取り組んでいる姿を目の当たりにして、素直に感動したんですよね。
『そう言えば、十年記念式典でX JAPANのYOSHIKIさんが作曲した「Anniversary」が奉祝曲として演奏されていたけど、色々と批判されてて大変そうだったよなぁ』と、思い出しながら観ました。
(私はX JAPANが好きなので、YOSHIKIさんが選ばれて喜びましたけどねぇ…。笑)
だから二十年記念の式典ではミュージシャンを起用しなかったのかも知れません。
なので、今回の式典で三浦さんや千住さん達が起用されたことに対して、柔軟な考えが広まってきた結果かな?と嬉しい気持ちになりました。
「歌声の響」
今回の式典で歌われた「歌声の響」という曲は、作詞を天皇陛下、作曲を皇后陛下が手がけられた作品です。
作詞
歌詞は天皇陛下が詠まれた琉歌が基になっており、「うちなーぐち」という沖縄の方言を用いて書かれています。
琉歌とは沖縄特有の和歌のようなものです。
和歌は5・7・5・7・7の文字数ですが、琉歌は8・8・8・6が基本の形(定型詩)となり、言葉はもちろん沖縄の方言を使って詠みます。
単純に詩として詠まれるだけではなく、沖縄県で主に使われている弦楽器の三線を伴奏にして唄われることも特徴です。
式典で演奏された「歌声の響」の歌詞に使われている琉歌は、1975年(昭和50年)に両陛下が沖縄を初訪問した際、沖縄の国立ハンセン病療養所を訪問したときの歓迎の《お返し》として詠まれたもので、その経緯も感慨深いものがありました。
当時の沖縄県民は、両陛下が訪れることに歓迎と反対の感情が交錯する不安定な時期にあり、献花に訪れた【ひめゆりの塔】の前では、過激派から火炎瓶を投げつけられたりと、命を覚悟するような緊張の訪問だったと思います。
そんな中、ハンセン病の療養所に居た患者さんたちはみんな笑顔で迎えてくれて、お別れの際には自然と、沖縄の船出歌である「ダンジュカリユシ」を歌ってくれたのでした。
『ダンジュカリユシ』とは沖縄の方言で『とてもめでたい・大変めでたい』という意味があります。
混沌とした中での心温まる歓迎に感動したことは、上の動画にある琉歌の内容を読んで貰えれば解って頂けるのではないでしょうか?
歌の歌詞は、書いたときの状況や経緯・作者の気持ちやその時の思いがわかっていると受け取り方も変わって、より深く音楽を感じることができると思います。
作曲
美智子さまが手がけられた作曲は、『この琉歌を特別なものにしてほしい』という要望から、琉歌を歌詞として用いてメロディや伴奏を付けたものです。
琉歌の「うちなーぐち」を使った独特な言い回しの歌詞や、沖縄で出会ったハンセン病患者さんに向けて贈る曲ということに因んで、メロディには琉球旋法(一般的には琉球音階)という沖縄特有の音の並びを使っています。
現在、一般的に使われている西洋音楽の音の並び【ドの音を基準としたハ長調】で説明すると「ドレミファソラシド」の7つの音で音楽・曲が作られますが、琉球旋法の音の並びは2番目と6番目のの音を抜いた「ドミファソシド」の5つの音や、6番目の音を抜いた「ドレミファソシド」の6つの音で音楽・曲を作っていきます。
琉球旋法は沖縄などの地域では当たり前に使われている音階ですが、それ以外の土地に住む人は聴いていて直感的に「南国らしい温かみのある音の並び・特別な音の並び」として認知することが出来るのではないでしょうか。
ブー的には「ハイサイおじさん」に使われているイメージ。↓
琉球旋法は「ハイサイおじさん」のようにテンポ(曲のスピード)が早いときには陽気な印象を持ちますが、「歌声の響」のようにテンポがゆっくりになるとしっとりとした切なさも表現することができるので、素晴らしい音階ですよね。
三浦大知
三浦大知さんは沖縄県出身で、歌手やダンサーとしてはもちろんのこと、作詞・作曲やライブの振り付け・演出もこなすエンターテイナーです。
1997年から芸能活動を始め、沖縄アクターズスクール出身の小中学生7名で構成された「Folder」という男女混合グループに所属していました。(女優の満島ひかりさんも所属していたグループとしても知られています。)
当時は「DAICHI」という芸名で活動していましたが、変声期は活動を休止し、ダンスのスキルアップに励んだそうです。
2005年に芸名から本名の「三浦大知」へと戻して、本格的なソロ活動を始めました。
声変わり前には大人には出せないハイトーンボイスを見事に操り、声変わりした後は切なさを含んだ裏声と深くて甘い歌声が魅力的な歌手となりました。
さらにダンスまで見事に踊れる彼は、世間でも言われているように「和製マイケル・ジャクソン」という表現が本当にシックリきますよね。
そのダンスの上手さから、他のアーティストさんにも振り付けを提供しています。
こちらでも紹介しました。↓
沖縄出身ということと歌手としての認知度の高さがから、この「歌声の響」を歌うのに適しているため選出されたのだろうと思いますが、期待以上に良い演奏だったのではないでしょうか。
千住明
千住明さんは作曲家・編曲家、音楽プロデューサー、自身もピアノ演奏や指揮を行うマルチな音楽家です。(タレントとしてテレビ出演をすることもあります。)
私の中では、松本清張さんの推理小説を基にした2004年版の「砂の器」というドラマの音楽を担当していた印象が強いです。
素晴らしい作曲・編曲技術のある千住さんですが、沖縄らしさが良く出ている「歌声の響」の琉球旋法を使ったメロディーに西洋音楽的な伴奏を付けるとなると、かなり前に紹介した「君が代」のようにチグハグになったりしないかと心配でした。
ですが演奏を聴いてみて、絶妙なバランスで調和のとれた、人の心を揺さぶる美しくも切ない響きに『流石は千住さん!』と終始感動しっぱなしでした。
「君が代」のチグハグさについてはこちらから↓
千住真理子
千住真理子さんは、上で紹介した作曲家・千住明さんの妹さんで世界的なヴァイオリニストです。(1番上のお兄さんは日本画家の千住博さんというのだから、多方面に亘る芸能一家ですよね…。スゴイ!)
ヴァイオリンの最高峰といわれている「ストラディヴァリウス」を愛器として所有しています。
億単位という高額で取引されるため、ストラディヴァリウスは音楽財団が所有していてることが多く、それを音楽家へと貸し出すことが普通なのですが、千住さんは自己所有です。(お兄さんたちが金策を頑張ったのだとか…)
楽器が凄いだけではなくて、『弾きたいけど弾けない』という挫折の時期を味わったことのある彼女の演奏には深みがあり、滑らかな音の運び、それでいてネットリとまとわりつく様な耳触りはクセになります。
ただし、今回の「歌声の響」の演奏については失礼な言い方になりますが、曲の作り的にヴァイオリンパートは別段無くても良かったんじゃないのかな~と、思ってしまいました。
この曲が聴けて良かった!
今、沖縄ではいろいろな問題があるので、沖縄と関係のある「歌声の響」が選ばれて演奏されたのかな?と憶測する人も中にはいるかもしれません。
ですが、私はこの暖かい歌詞の内容やメロディの優しい響き、千住さんの素晴らしい編曲、そして三浦さんの心のこもった歌声のおかげでこの曲が単純に好きになりました。
そのうえ、普段の生活では触れることの無いような沖縄の「琉歌」という伝統が知れましたし、「琉球旋法」と西洋音楽の素敵な融合が聴けたので、勉強にもなって良かったです!