心臓が弱い人は注意!ハイドン交響曲第94番「驚愕」の第2楽章
ようこそ!ブーです。
今日は、オーストリアの作曲家ハイドンの「交響曲第94番」の第2楽章を紹介します。
ハイドンの説明はこちらからどうぞ↓
交響曲第94番のタイトルは正式なものではありませんが「驚愕」と呼ばれます。
タイトルを知ってから、曲を聴いたときには思わず『なるほど!そうきたかぁ~!』と声が出るほど感心しました。
交響曲第94番「驚愕」第2楽章
曲の説明の前に、まずは聴いてみて下さい。
動画の31秒あたりで「ドカン!」と来るのでくれぐれも音量に注意してね。↓
この曲は、12曲あるロンドン交響曲の中の1曲で、作品番号はHob.Ⅰ:94 (交響曲第94番)です。
典型的な交響曲の形式である4楽章(4曲)で編成されています。
ハイドンが活躍していた古典派音楽の時代は、交響曲にタイトルを付けることが少なかったので、彼自身が付けたタイトルでは無いようです。
ですが、ハイドンが作曲した作品の中でも特にインパクトが強いため需要があり、曲の印象によく合ってるので「驚愕」という愛称で、今でも親しまれています。
第2楽章の曲解説
Andante「歩くような速さで」という意味の速度記号が書かれていて、リズムも2/4拍子なのでゆっくり・ノシノシと歩くような印象を持つ曲だと思います。
ゆったりした曲調と、ハ長調という音楽の基本的な調で書かれているので、とても聴きやすいです。
「交響曲第94番」の他の3曲はすべてト長調なので、この曲は特に目立つように作られていることが解ります。
1つのメロディ(主題)を基準にして、伴奏などを色々アレンジする「変奏曲形式」というものが使われ、曲中では、全部で4つの変奏がされています。
曲の冒頭部分では、主要主題と呼ばれる1番重要なメロディがすごく小さな音pp(ピアニッシモ)でくり返されるので、その後に来る「驚愕音」と呼ばれる大きな音の和音をより引き立てています。
第2変奏部分はハ短調で、音楽に影が差したようなズッシリと暗い雰囲気になり、後半部分は劇的な様子を表すために強い大きな音を表すf(フォルテ)と速いテンポで曲を盛り上げます。
第3変奏は、オーボエやフルートなどの木管楽器がメインとなり、ハ長調のゆったりした感じが戻ってきます。
第4変奏は、コーダと呼ばれる曲の終わりがわかり易く表現された部分でクライマックス特有の華やかさがでています。
最後の部分では、オーボエとファゴットが主題のメロディを演奏して静かに終わります。
作曲の経緯
ハイドンが「驚愕」を作曲した理由は、シンプルに観客を驚かせるためです。
彼は1791~1792年と1794~1795年の2回、音楽家の仕事としてロンドンに招かれました。
そのうちの1回目に依頼されて作曲したのが「驚愕」です。(初演は1792年3月23日ロンドン)
当時の演奏会やコンサートと言えば、食事やお酒を飲んで来るお客さんが多く、演奏中に騒いだり大きな声でおしゃべりしたり、挙句の果てにはイビキをかいて寝ている人もいたりして、今と比べるとマナーが非常に悪いものだったんですよね。
そんなことは日常茶飯事で当たり前のことでしたが、ハイドンはひそかに腹を立てていました。
『なんてマナーが悪いんだ、純粋に自分の書いた音楽を楽しんでほしいのに…。よし!アイツらが驚くような曲を書いてやろう…。ww笑ww』というテンションで書かれたのが、この曲です。
曲の権利
彼をロンドンに招いたのは、ドイツ出身のヴァイオリニスト・作曲家・指揮者・音楽興行師であった、Johann Peter Salomonでした。
(ヨハン・ペーター・ザーロモン、1745年2月20日に洗礼を受ける。1815年11月28日没。メンデルスゾーンの親戚。)
曲の依頼をしたのもザーロモンなので、楽曲の権利は彼が持っていたんです。
そのため、自分の曲でなくても堂々と「ロンドン交響曲」を室内楽用に、小規模で演奏しやすく編曲して、サロンなどの公共の場でも演奏していたそうで、とても商売上手だなと思いました。
まとめて呼ばれることも…
最初のロンドン訪問中に書かれた第93番~第98番と、2回目もロンドン訪問のためにウィーンとロンドンで書かれた第99番~第104番の2つのグループに分けることが出来ますが、普段は93~104番をまとめて「ロンドン交響曲」と呼びます。
第104番が「ロンドン」というタイトルなので、ややこしいですが第104番単独でも「ロンドン交響曲」と呼ぶことがあり注意が必要です。
その他に「ロンドン・セット」や、ザーロモンが権利を持っていたため「ザロモン交響曲、ザロモン・セット」などの呼び方があります。
(曲名の時にはザーロモンと言う風に名前を伸ばしません。)
遊び心満載の「交響曲の父・ハイドン」
前に紹介したハイドンの「告別」という曲もかなりエキセントリックでしたが、今回の「驚愕」もハイドンが活躍していた時代にはありえないものでした。
眠っていた観客は全員驚いて目を覚まし、狼狽しはじめ、怪訝な面持ちでお互いに顔を見合わせていた。
当時の観客は、ハイドンが居眠りする人を非難し、目を覚まさせるために用いたこの方法を理解して尚且つ、『独創的な天才が生み出したもの』として称賛した。
と言い伝えられています。
「交響曲の父」と呼ばれるだけあって、誰よりも多くの交響曲を書いてきたハイドンだからこそ、いつまでも新鮮な気持ちで遊び心を忘れずに、晩年になってもこういった曲を書くことが出来たのでしょう。