自分の話『不登校と音楽』
ようこそ!ブーです。
今日は音楽のことではなく、自分の話『不登校と音楽』について書こうと思います。
新年度が始まり、色々なことで悩んでいる人が多いのではないでしょうか。
自分も悩み多き学生時代を送っていたので、少しでいいから『同じように悩んでいる人の役に立ちたい』と思った次第です。
長文で絵もないですが嫌でなければ、どうかお付き合いください。
不登校と音楽
小さいころから音楽が好きで、音楽に青春の全てを捧げていたブーですが、小学校5年生~中・高と長い間「不登校・登校拒否」の時期がありました。
短大生の頃には「無遅刻・無欠席」、「誰よりも早く行って・誰よりも遅く帰る」という見違えるような学生生活を送るようになりましたが、そこまでの道のりは辛く厳しかったです。
たくさん休むと学校に親が呼び出されてしまい迷惑がかかると分かっていたので、なるべく休まないようにしようと、新学期には『今年こそ頑張るぞ!絶対に休まない!』と気合を入れていました。
ですが1週間ほど経つと、その決意もむなしく『週に2回以上逢えたらラッキー』と友達に言わせてしまうほど、学校を休んでしまうのです。(四つ葉のクローバー的存在…)
大人になった今は、原因がわかります。
不登校の理由は「小学校5年生の時に転校したこと」がきっかけで、そこから様々な感情に振り回された結果でした。
学校というものは集団行動で成り立っているので、転校生という「集団行動を乱すやつ」がいると突っかかってくる人・無視する人が多いのです。
5年生まで「いじめ」という言葉すら知らなかったブーは、もちろんそんな経験をしたことがなかったので状況も理解できずに、とても怖くて、どうして良いか判りませんでした。
ですがウジウジしていても事態が好転することなんてありません。
ある時「自分が変わらないとどうしようもない問題」なのだと悟ります。
そこで実行したのが「毎日、自分から元気よく挨拶すること」と「休み時間は音楽室に行くこと」でした。
自分から挨拶することで話してくれる人が多くなり、音楽室に行くことで共通の趣味(ピアノ)の話ができる友達もできました。
ですが心に受けた傷や、心の奥底にある暗い部分が消えることはありません。
そのため、不意に学校に行きたくなくなるのです。
『こんなに活発で、みんなから好かれているのに、なんで学校に来ないかわからない』と先生や友達に言われる日々でした。
表面上は「明るく元気なブー」を演じ、心の中では「本当の自分は理解されない」というジレンマをかかえて過ごしていたため本当に辛かったです。
親からも呆れられたり怒られたり、時には実力行使で硬い学生かばんを投げつけられたこともあります。
中学校までは義務教育なので卒業できることは分かっていましたが、高校はそういうわけにはいかないので、受験もどうしようか迷いました。
大好きな音楽以外では頑張れる自信が無かったので「音楽科のある○○高校に受からなかったら、高校には行かない!」と公言しましたが、受けようと思った高校は推薦入試しか行っていないので「こんなに休んでいるのに、推薦なんてしてもらえるわけがない」と諦めていました。
ですが運が良かったのか、ブーが受験する年には音楽科を受ける生徒が居らず推薦をもらえることに!
そして受験するからには、自分の大好きな音楽に失礼が無いように全力で取り組みました。
無理だろうと思っていたのに、小学生からの夢だった“音楽科への進学”が叶いそうだったので『やっぱり音楽って良いな、続けたいな』と改めて感じました。
高校に受かった時には本当に嬉しかったです。
なのに、また学校に行けなくなります。
高校は義務教育ではないので1・2・3年すべての学年で留年しそうになったくらい酷かったです。
先生に『卒業式に答辞じゃなくて、送辞を読まなきゃいけなくなるよ!』と脅されたのを昨日のことのように思い出します。(その本気っぽい発言でクラス中がザワつくという事態に…笑)
ブーの通った高校の音楽科は、3年間クラスが替わらない特殊な環境ということで、入学前には友人や知人から『女子が多いから、いじめが酷い・エグイ』というウワサをよく聞きました。
でもウワサは噂でしかありません。
本当のことではなく、その多くは知らない人が脚色したものです。
確かに女子特有の口論などは時々ありましたが、目立つような「いじめ」は無く、3年という“学生からしたら長い時間”を一緒に過ごしたため、家族のような一体感のある良いクラスでしたし、ブーもそんなクラスが大好きになりました。
なので尚更、学校に来ないブーは不思議な存在だっただろうと思います。
誰かに相談しようにも「元気なのに学校に行かない=サボっている」と思われているので、説明する前に『学校に行け』と言われておしまいです。
説明できる環境であっても『小学生の時に受けた心の傷。学校という型にはまった組織にうまく馴染めない。自分の音楽が理解されないもどかしさを感じる。』ということを、当時はうまく言葉にすることが出来ませんでした。
ですが、そんな高校3年の2学期に三者面談という転機が訪れます。
遅いですが、この時初めて本気で進路について考えることになりました。
先生に『進路はどうしますか?』と聞かれたので、
私は『小学校も中学校も高校も頑張れなかった自分が、進学してもきっと耐えられないだろうし、そもそも受からないだろうから就職したい』と伝えます。
中学の時とは違い、現実がはっきり見えている分だけ辛かったです。
三者面談なので母が来ていたのですが、突然こう言いました。
『できることなら進学させたいです。大好きな音楽を続けさせてあげたいんです!』
衝撃でした。
これだけ手を焼いているのに、まだ応援してくれるのかと思ったら涙が止まりません。
先生も『受けるだけ受けてみたらどうですか?』とすすめてくれたので、改めて考えてみることに…。
高校生活でいろいろ挫折し、ピアニストとしてやっていく自信が無かったので、それ以外で「どうやったら音楽を続けられるのか?」と本当に悩みました。
そこで行き着いた答えが「音楽理論」という分野だったのです。
「音楽理論」は音楽を学問として捉えているのでとても理屈っぽくて難しく、入学できても留年するだろうと言われたり、音楽科の中でも専攻する人が少ないことで有名でした。
ですが、音楽の全てを知るには1番良い分野なので「音楽大好き」なブーには合っていると思い、受験することに決めました。
もちろん受験に向けて頑張ってはいましたが、全てにおいて自信が無かったので受かるとは思わず、結果を知るのが怖くてなかなか貼り出された紙を見れませんでした。
なので結果を知ったのは自分の目ではなく、先生の『ブー!!受かってるよ!!』という校内に響き渡るような大きな声でした。
泣くことはよくありますが、嬉しくて泣いたのは後にも先にもあの時だけです。
短大では、とても充実した学生生活を送ることができましたが、思い出してみるとそれ以外にも、転機となる部分では「いつも大好きな音楽がそばにあって、いろんな人が後押しをしてくれていたんだな」と感じました。
私は音楽と触れ合っている今も、充実していて幸せです!
8年間も不登校で、どうしようもなかった人間でもこれだけ幸せを感じることが出来るんだから、人生捨てたもんじゃないですよ!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!