ブー先生の音楽教室

学校では教えてくれない、音楽のことを書いています。

最新の自動演奏楽器【マーブルマシン】

ようこそ!ブーです。

 

今日は、最新の自動演奏楽器【マーブルマシン】を紹介します。

 

マーブルチョコレート製造マシンのことではありませんよ。(笑)

 

本来の「マーブルマシン」は、歯車とビー玉などで動く仕掛けおもちゃのことです。

 

わかりやすい例としてテレビ番組のピタゴラスイッチに出てくる「ピタゴラ装置」が挙げられます。

 

説明は後回しにして、まずはご覧下さい!

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衝撃的な見た目ですよね!

 

でも演奏自体はダイナミックだけど緻密で、最後は手を離すと自動的に音がゆっくりになるので、とても自然で良い終わり方だなぁ…。

 

 

自動演奏楽器

普通、楽器を演奏するのは人間などですが、自動演奏楽器は機械によって演奏されます。

 

機械と言っても様々な種類があり

  • 電気供給が必要な電子式
  • 電気を使わず、機械の構造のみで動かすことができるカラクリ式
  • スイッチ以外は、すべてを機械が担う全自動
  • 構造の関係上、人の手を借りなければいけない半自動

なとが挙げられます。

 

紀元1世紀には、すでに自動で演奏するという発想があったようで「風力オルガン」が設計されていたことが記録に残されています。

 

現在、もっともよく見られる自動演奏楽器は「オルゴール」と「自動ピアノ」です。

 

 

自動演奏楽器【マーブルマシン】の製作者

Marble Machine(マーブルマシン)は自動演奏の機械で、スイスの4人組インストバンドWintergatanウィンターガタンが製作しました。

 

インストバンドは、楽器しか使わず自分達は歌わないバンドです。

バンド名のWintergatanは「銀河、天の川」という意味があります。

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彼らは自然の厳しさや星達の美しさを音楽によって表現しているアーティストで、その自然を表現するために、演奏に使う楽器は20種類以上、そして生活雑貨等を使用した独特のスタイルで活動しています。

 

「マーブルマシン」はウィンターガタン名義で製作されていますが、構想・製作・演奏はメンバーのMartin molinマーティン・モリン1人で行なった作品です。

 

博物館で見た機械仕掛けの楽器に感銘を受け、もともと木工作品が好きだった彼は手作りで、本当に1から楽器を作る事にしました。

 

初めのマーブルマシンは、プログラムも組めないため不規則な音しか出せませんでしたが、試行錯誤を繰り返しメロディを奏でることができるように改良しました。

 

マーティン・モリンはマーブルマシンを通じて「音楽を目で聴く・音楽を目で楽しむ」という新しい発想を追求した、本当にスゴイ人物です。

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楽器【マーブルマシン】

名称はWintergatan Marble Machine、説明は「music instrument using 2000 marbles」と紹介されます。

 

music instrument usingは、「音楽を奏でる道具、楽器、鳴り物」、marbleマーブルは「大理石、おはじき」といった意味です。 

この場合のマーブルは楽器を演奏するためのを指し、2000 marblesなので「2000個の玉」となります。

 

合わせるとウィンターガタン製作マーブルマシン2000個の玉を使った音楽を奏でる道具」ですね。

 

おもちゃとして作られている「マーブルマシン」がビー玉や木のボールを使っていることに対して、楽器の「マーブルマシン」はパチンコ玉のような銀色でできた鉄製のボール(タイヤのベアリング用11㎜)を使っています。

 

木製(ベニヤ板)のボディには3000個ものパーツが付けられていますが、その1つひとつは機械に使われる専用のものではありません。

 

コルク製のコップの下に敷くコースター・お店のボート売り場にあった水をまくためのチューブ(ホース)・液体を移しかえるためのじょうご、など日常生活では他の用途に使われるものがつけられているんです。

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それは「金額を抑えるため」と「手作りするときに扱いやすい素材」だったからですが、金額を抑えたといっても総額約120万円かかっています。

 

約150kgの重さと、大きなボディに対して足が細いのも特徴です。(笑)

 

製作には1年2ヶ月かかりました。

本当は2ヶ月で完成する予定だったのですが、簡単に考えていたため難航したようです。

 

ビブラフォン・ベース・バス(キック)ドラム・スネアドラム・ハイハットシンバル・クラッシュシンバルの6種類が演奏可能で、それぞれにミュート機能を完備しています。

 

マシンはハンドルを回して動かし、途中はニュアンスを変えるために手で制御したりしていますが、玉が落ちることで音がなるので楽器の演奏はほぼ自動といって良いでしょう。

 

でも、ベースの音程だけは手動で調節しなければ音の高さは変わりません。

 

上の知識を踏まえた上で見ると、より楽しめると思うので同じ動画をご覧下さい。

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見た目の破壊力と衝撃…!

初めてこの楽器を見たときは『これ作った人、頭おかしくなっちゃったんじゃないの!?』と見た目の破壊力でかなり引きましたが、演奏を聴いてみて別の意味で驚きと衝撃を受けました。

 

か、完成度が高すぎる!

しかも、動きにも魅了されてる!?

 

やっぱり、アナログなスケルトンタイプの時計が好きだからかなぁ…。

 

もう、やみつきだゼ……。

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音楽教室を変える・辞めることついて

ようこそ!ブーです。

 

今日は、音楽教室を変える・辞めるということについて書きます。

 

字面だけ見るとネガティブな事のように感じますが、実はステップアップへの道が開ける良いチャンスになったりするんですよ!

 

ブーの体験談なので、役に立つか立たないかはあなた次第!

参考程度にご覧下さい!

 

 

音楽教室を変える

とても勇気がいる行動ですが、音楽教室に通っていると『教室は辞めたくないけど、他の教室に移らなければいけない』ということも起こります。

 

現に、ブーはピアノ教室を小学校5年生のときに変えました。(個人教室から個人教室へ)

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先生が気に入らなかったワケではなく、色々な理由が重なったので変えることになりました。

 

まずは、本当に個人的な理由からです。

自分が引っ越す事になったため、通い易さを考えた結果「これを機に思い切って変えよう」ということになりました。

 

次に、ピアノ教室の先生がピアノ専門ではなく本当はフルートが専門だったので、教えられる年齢と技術面に限りがあったということも大きな理由です。

 

先生自身からも『もう少ししたら教えれなくなると思っていたので、良い先生を紹介しようと思っていたところです。』と言われました。

 

この『良い先生』がその後に通ったピアノ教室の先生です。

先生の口添えもあり、次の教室への移行もスムーズでした。

 

実は、初めて教室に通いたいといったときに候補に上がっていたそうなのですが『子どもは教えていません』と断られたので、最初に通っていた教室の門戸を叩いたという話を後から聞きました。

 

お母さんが口コミで聞いたその地域で1番良い教室がその教室で、しかも家からも近かったんですよね。

 

なので、ブーも反対する事はありませんでした。

 

ブーの体験以外にも、単純に先生との相性が合わない・他の生徒の親と仲が悪い・レッスン代の問題・スキルアップのために、など色々理由はあると思います。

 

いずれにしても、自分のニーズに合わなくなったら変え時なんだということです。

 

 

変えて良かったと思ったこと

前に通っていたところは家から徒歩15分、新しく通うことになった教室は徒歩3分だったので、家を出る時間の調節が楽になったこと。

 

そして、教室を変えたことで早い段階から受験に対する意識を持つ事ができ、志望していた学校にも合格する事ができました。

 

なにより、先生は毎年のように受験生のレッスンを受け持っていて、受験の「傾向と対策」がバッチリだったので、こちらも安心して通えたんですよね。

 

 

音楽教室を辞める

習い事を辞めるときの理由は

  • 上手くならないので興味が無くなった
  • 練習が面倒だからやりたくない
  • 先生が怖いから行きたくない
  • 勉強・受験を優先するため
  • 他の習い事で忙しい

など様々にあると思います。

 

年齢が上がるにつれて、習い事を選別して減らすことが普通ですよね。

 

ですが、ブーがピアノ教室を辞めたきっかけは、社会人になったからです。

 

仕事を始めると、学生の頃のように豊富な練習時間は取れません。

そんな練習不足の状態でレッスンに行くことは、先生に対して失礼ですよね。

 

学生の間もアルバイトをしていましたが、学業や練習がおろそかにならない程度におさえていたので続けられたんだなと社会人になって痛感しました。

 

ピアノ教室を辞めて、1ヶ月はピアノレス症状で泣き暮らしましたが、そこで音楽の全てが終わりということではありません。

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他の人よりも長く習っていたこと・音楽科を卒業したことで、すでに先生がいなくても演奏できるようになっていたんです。(笑)

 

いつまでも学生気分が抜けていませんでしたが、同じ年に卒業した友達がその年にピアノ講師になっていたんですから、逆に『まだ習っているの?』という感じですよね。

 

学校や教室に通っている間は音楽を学問と同じように勉強していたわけですから、それが無くなった虚無感や、音楽をどう扱っていいのか解らなくなって戸惑っていたというのも大いにあります。

 

ですが、このことに気が付いてからは『音楽を趣味にしていいんだ!』という希望が持てるようになりました。

 

辞めたからと言って、全てがマイナスになることは無いんだな!

 

 

教えてもらうということ

音楽教室を変える・辞めることについて書きましたが、教えてもらっていた先生方には今でも感謝しています。

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最初に通っていた教室の先生は、確かに技術面では他の先生より劣るところもありました。

 

ですが、ピアノの基礎をシッカリと教えてくれたので、どの先生にレッスンをしてもらっても『ブーさんは基礎がちゃんとできている』と褒められることが多かったです。

 

今思うと、鍵盤の「ド」の位置も解らないような子どもに教える事ができるのだから、最初に通っていた教室の先生も凄い人なんですよね。

 

そして、次に通った教室の先生は「 技術面・経験・生徒の受験合格の実績」など、他の教室とは比べられないハイスペックな先生でした。

 

人間性も素晴らしかったから、10年もの長い間くじけることなく通い続けられたのだと思います。

 

教えてもらうということは、その人を尊敬していなくては成り立ちません。

 

その点で言うと、どちらの先生にも尊敬を感じられていたのだから、幸せな生徒だったんだなぁ…。

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吹奏楽の名曲『宝島』

ようこそ!ブーです。

 

今日は、吹奏楽の名曲「宝島を紹介します。

 

この曲を知っている人の多くは吹奏楽経験者だと思いますが、ブーは中学・高校とピアノに熱中していたので、吹奏楽を専門的に学んだことはありません。

 

そんな吹奏楽初心者のブーでも、この「宝島」という曲はスゴイ魅力を感じる名曲です。

 

最近では「響け!ユーフォニアム」というアニメにも取り上げられているほどなんですよ!

 

(コンサート部分だけ観たのですが、アニメで楽器の演奏を表現することは難しいのに、忠実に再現されていてスゴイと思いました。)

 

  

作曲

実は、「宝島」という曲は吹奏楽の為に作られたものではありません。

 

元々は、T-SQUARE(ティー・スクェア、旧名THE SQUARE)という日本のフュージョン系インストゥルメンタルバンドの作品で、原題はローマ字表記で「TAKARAJIMA」です。

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フュージョンというジャンルは、ジャズをベースにしてロックやラテン、R&Bそして電子音楽などを融合(フューズ)させた音楽のこと。

 

Instrumentalインストゥルメンタルは、器楽曲という意味で、カタカナ表記では「インスツルメンタル、インストルメンタル、インストゥルメンタル、インストゥメンタル」といろいろあり、統一はされていません。

略して「インスト」と呼ばれます。

 

このグループは、1976年から活動しているので何回かメンバーの入れ替わりがありました。

現在は、ギター担当の安藤正容さん・サックス担当の伊藤たけしさん・キーボード担当の河野啓三さん・ドラム担当の坂東慧さんの4人で活動しています。

 

T-SQUAREの作品で1番有名なのは1987‐1998年にフジテレビで放送されていた“F1グランプリ”のテーマ曲で使われた「TRUTH」という曲です。

(運動会の徒競走やリレーなんかで聴くことが多い印象)

 

その次に挙げられることが多いのが、この「宝島」です。

 

作曲したのは、旧メンバーでキーボードを担当していた和泉宏隆さんですが、すでに脱退されています。

 

それでも、グループがブレイクするきっかけとなった曲や代表作と呼ばれているものの多くを作曲した重要な人物で、脱退した今でも、たまにT-SQUAREのコンサートなどにゲストとして出演することがあります。

 

 彼が作曲した「宝島」に使われている楽器、ウインドシンセサイザーという近未来的な電子楽器はT-SQUAREが広めたと言っても過言ではないでしょう。

 

中央で演奏している、クラリネットのような楽器がウインドシンセサイザーです。

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何と言ってもこの曲はノリが良く、ドラムの人とかメッチャ楽しそうですよね。

 

「宝島」というシンプルな曲名ではありますが、曲を聴くと夢や冒険が詰まった名曲なので本当によく合っている良い題名だと思います。

 

 

編曲

吹奏楽版の「宝島」は、作曲家であり吹奏楽音楽の巨匠だった真島俊夫さん(1949年2月21日‐2016年4月21日没)が編曲をしました。

 

すでに人気があって完成されていたこの曲を編曲するなんて、とても勇気のいる事ですよね。

 

ですが、真島さんは亡くなる1年ほど前の演奏会で 「宝島」について、こんな風に語っています。

吹奏楽をやっていた人に出会うと『宝島って曲を知ってる?』と聞くんです。

 

そうすると「知っています!吹きました~!」と言ってもらえます。

 

『アレをアレンジしたのは僕です。』というと名刺代わりになる曲です。

 

ヒットした曲ではありますが、自分の曲ではないから売れた割りには僕に印税は入ってこないんですね。(笑)

 

でも、これだけ演奏されていればアレンジャー冥利に尽きます

編曲者として、これほど幸せなことはないですよね。

 

 

吹奏楽の「宝島」 

吹奏楽曲に編曲しているため、キーボード(ピアノ)のソロパート部分がアルトサックス(サクソフォーン)に代えてあります。

 

その他にも、吹奏楽版のオリジナルから編曲(編曲の編曲?)したものではこのパートが、バリトンサックストランペット、そしてフルートなんてこともあるみたいで、楽器の特性ごとに違った「宝島」を楽しむことができます。

 

もちろん本家のT-SQUAREの演奏も大変素晴らしいですが、吹奏楽だと人数の分だけ音に厚みが出て良いんですよね。

 

上手に演奏できていなくても、学生が演奏するのを聴くと『青春だなぁ…』という感じがして胸にこみ上げるものがあります。

 

学生の演奏ではありませんが、この動画は編曲者の真島俊夫さんご本人の指揮なので選びました。

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真島さんが生きている間に、生のコンサートを観に行きたかったです。(泣)

 

 

好きなものが偏ってる?

本当に感動的でいい曲だと思ったので、今回「宝島」について調べてみたのですが、行き着いた先がまさかフュージョン音楽だとは…。

 

やっぱり『好きなもの+好きなもの=最高』になるんだなと、改めて痛感いたしました。

 

過去の記事で「高中正義」さんや「カシオペア」の方々など、フュージョンというジャンルの音楽家を紹介させてもらいましたが、まさか「宝島」の原曲もだなんて夢にも思わなかったブーなのでした。

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子守唄を聴いてよく眠ろう【その②】

ようこそ!ブーです。

 

昨日に引き続き、子守唄を紹介します。

 

オルゴールメリーなどのメロディが鳴るおもちゃに使われている曲は、海外の子守唄のものが多いですが、自分たちのお母さんが歌ってくれていた子守唄は、日本語のものだったのではないでしょうか?  

 

ということで、【その②】は日本の子守唄についてです。

 

 

 

日本の風土と子守唄 

日本の子守唄は「親が子どもに歌うもの」ではなく、幼くして故郷を離れた子守娘が歌い伝わったものが多いです。

 

昭和初期までは、貧困のために口減らしという風習があり、子どもが売られたり・奉公に出て働いたりしていました。

その中で子どものお守りとして働いたのが、7~15歳の若い子守娘たちです。

 

童謡「赤とんぼ」の“ねえや”も子守娘だったことがうかがえるので、探してみるとそういった曲は多く存在しています。

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「赤とんぼ」のような曲を聴くと、若くて優しい“ねえや”を想像してしまいますが、子守娘として働く少女たちには過酷な現実もあり、楽しいことばかりではありませんでした。

故郷が恋しくなったり、雇い主からひどい目にあったりすることもあります。

 

子守唄は、そんな苦労や哀愁が漂うので人々の心に響き、現在にまで伝わっているんです。

 

 

 

日本の子守唄

「江戸子守唄」

江戸時代の江戸が発祥で日本各地に広まっていったので「江戸子守唄」と呼ばれます。

 

日本の子守唄と言えばこの曲が1番スタンダードです。

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一般的な歌詞

ねんねんころりよ おころりよ

ぼうやはよい子だ ねんねしな。


ぼうやのお守りは どこへ行った。

あの山こえて 里へ行った。 


里のみやげに 何もろうた。

でんでん太鼓に 笙の笛。

 

子守唄は芸術作品として作られたものではないため原曲の楽譜はなく、人から人へ伝わっていくものなので、上で紹介した動画の歌のメロディを聴いて『自分が知っているものとは、少し違うなぁ』と感じる人もいるのではないでしょうか。

 

1番の歌詞が有名で、「ぼうや」の部分を名前に替えた替え歌で歌われることが多いです。

 

 

 

「竹田の子守唄」

 現在の京都府に伝わった民謡です。

 

フォークやロック歌手によってカバーされたことで、今でも人気があります。

 

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歌詞の意味

お盆休みもなく辛いけれど、お盆が過ぎると秋が深まり、雪がちらつき寒くなって、また子供が泣きます。

お盆休みが来たからといって、何が嬉しいと言うのだろう。
きれいに着飾る服も無いというのに。

この子はよく泣いて、子守の私を苛めます。
奉公先の親から叱られないかと心配で、やせる思いです。

早く奉公の期間を終えて、奉公しているこの場所から、親の住む家に帰りたい。
向こうに見えてるのは親の家なのに、こんなに近くても奉公だから帰れない。

 

民謡特有の独特な言い回しや、曲調に哀愁を感じますね。

 

 

 

 

創作歌謡「揺籃のうた」

「揺籃のうた」は「ゆりかごのうた」という呼び名で有名です。

 

日本の子守唄の多くは地域に根付いたその土地特有のものが多いですが、「ゆりかごのうた」は創作された歌謡曲なので珍しいタイプの子守唄と言えます。

 

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作詞は北原白秋で、作曲は草川信です。

 

 

 

その他の子守唄

有名なものでは、熊本県に伝わる「五木の子守唄」や、岡山の西南部に伝わる「中国地方の子守唄」、長崎の島原半島に伝わる「島原の子守唄」などがありますが、子守唄自体は日本の北から南まで津々浦々に存在しています。

 

自分が住んでいる土地の子守唄を探してみるのもいいでしょうね。

 

 

 

お母さんと子守唄

ブーは小さい頃とても泣き虫でした。(今でもよく泣きますが…笑)

 

幼稚園に入るまでは、大した事がなくても1日3回以上は泣いていたと思います。

 

小さい頃は、自分の思うように行動できなかったり・意見が通らないことが多かったので、それがとても理不尽に感じてスグに悲しい気持ちになっていたんですよね。

 

それでなくても兄弟ゲンカでは末っ子という事もあり、泣かされる側でした。

ケンカが終わると、お決まりのようにお母さんに泣きついていたことを思い出します。

 

泣くことって元々かなりの体力を使いますが、泣く回数と泣き声の声量が半端じゃないブーは、疲れてしまってよく泣きながら寝ていました。

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そうすると、お母さんが子守唄を歌いながら背中をポンポンしてくれるわけです。

 

『ねんねんころりよ、おころりよ、ブーちゃんはよい子だ、ねんねしな』

 

子どもの頃の懐かしさもあるけど、泣きながら聴いていたから子守唄を聴くと涙が出るんだなぁ…。

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子守唄を聴いてよく眠ろう【その①】

ようこそ!ブーです。

 

子守唄って聴いていると、大人でもだんだん眠くなってきませんか?

 

それは子守唄が、赤ちゃんを抱っこしたり・揺りかごでユラユラさせているような、ゆっくりしたリズムのものが多いからなんですよ。

 

その揺らぎの成分が、人々を眠りへといざなってくれるわけです。

 

なので、寝れないときには自力で羊を数えるよりも、子守唄を聴いて夢の世界へ行ってみるのも良いのではないでしょうか。

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ということで、今回は子守唄を2回に分けて紹介していきます。

 

【その①】は、世界の子守唄についてです。

 

子守唄(子守歌)は、英語でLullabyララバイと言います。

 

 

世界の子守唄

フリース作曲「Schlafe,mein Prinzchen,schlaf ein」

「Schlafe,mein Prinzchen,schlaf einシュラーフェ・マイン・プリンツヒェン・シュラーフ・アイン(お眠り、私の小さな王子よ、お眠りなさい)」は、メロディや和音構成など曲の作り方がモーツァルトに似ているせいで、間違ってモーツァルト作曲』と言われてしまう事が多い曲です。

 

ですが、実際にはBernhard Flies(ベルナルトまたは、ベルンハルト・フリース、1770年‐1851年没)という医師の心得のある、ドイツの作曲家が作曲しました。

 

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この有名な曲が、長年勘違いされて聴かれていたなんて驚きですが、誰が作曲したにしても子守唄の名曲であることには変わりありません。

 

 

 

 シューベルト作曲「Wiegenlied」

「Wiegenliedヴィーゲンリート(子守唄)」は、オーストリアの作曲家Franz Peter Schubert(フランツ・ペーター・シューベルト1797年1月31日‐1828年11月19日没)の作品です。

 

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実はこの曲、亡くなった赤ちゃんに捧げるためのレクイエム(鎮魂歌)だったようで、もとの歌詞には「安らかに眠れ」や「墓の中で」、「一本の百合と一本の薔薇」という死を連想させるワードが出てきます。

 

内容を知ったら少し怖い気もしますが、レクイエム独特の絶望的な悲惨な音がありません。

純粋に、赤ちゃんの死を悼んで天国へ送り出すような、優しい旋律で仕上げている名曲です。

 

 

 

ブラームス作曲「Wiegenlied」

「Wiegenlied」はドイツの音楽家Johannes Brahms(ヨハネス・ブラームス、1833年5月7日‐1897年4月3日没)が、友達に子どもが生まれたことを記念して作曲しました。

 

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ブーは『子守唄と言ったらこの曲!』だと思います。

 

厳つい顔をした熊みたいなオジさんが書いたとは思えないような、とても優しい調べです。

 

 

 

簡単が故に…

今回は、特に有名な子守唄を取り上げて紹介しました。

 

子守唄というものは子供を寝かしつけるためのものですから、歌いやすように簡単なメロディで作られています。

 

たとえ大作曲家の作品でも、あまりにも簡単すぎて楽譜に残っていないようなものや、楽譜はあっても簡単すぎて世の中に発表されていない曲も数多くあるんですよ。

 

その分、土地に根付いた曲も数多くあり、親から子へと口伝えで受け継がれるものも少なくありません。 

 

外国の子守唄には、愛情とロマンを感じるブーなのでした。

 

 

記憶ありすぎ!?

お母さんが歌ってくれた子守唄や、赤ちゃんの時に頭の上で回るおもちゃ(オルゴールメリー)で聴いて、耳に残っているフレーズってありますか?

 

初めて聴いたのは赤ちゃんの頃でも、曲と認識して聴くことはある程度の年齢になった頃ではないでしょうか。

 

ですが、ブーは姉から衝撃的な話を聞きました。

 

彼女の記憶では、『自分はベビーベッドに寝ているんだけど、オルゴールメリーのせいでなかなか寝れなかった』というんです。

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曲はブラームスの子守唄だったのですが、さすがに曲名までは知らなかったようで鼻歌で教えてくれました。

 

ブーと姉は年齢がほぼ3歳はなれていますので、姉が3歳の頃にはすでにそのベビーベッドにはブーが寝ているんですよね。

 

ということは、3歳より前の話なんだ!と驚きました。

 

説明を聞くと、オルゴールメリーの回転で目が回って気持ちが悪くなり、オルゴールの音楽も大変うるさかったそうです。

(姉よ、赤ちゃんの頃から耳が良かったんだね…)

 

終わりに近づいて、だんだんユックリになるときに『あ…、やっと寝れる・解放される』と思っていたら、お母さんが来てまた回していくというエンドレス拷問…。(笑)

 

眠りを誘うような良い曲でも、眠りを妨げたりするんだね!

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