イタリアの心の国歌「行け、我が想いよ、金色の翼に乗って」勇ましくも切ないメロディ。
ようこそ!ブーです。
今日は、ブーが合唱で歌ったことのある曲で、イタリア人も愛してやまない心の国歌「行け、我が想いよ、金色の翼に乗って」を紹介します。
正式なイタリア国歌でもないし、イタリアのことを歌っているわけではないのになんでこんなに人気が高いのでしょうか?
Va,pensiero,sull'ali dorate「行け、我が想いよ、金色の翼に乗って」
イタリアの音楽家ジュゼッペ・ヴェルディが作曲した4幕構成のオペラ、Nabucco「ナブッコ」(原題Nabucodonosorナブコドノゾール)の第3幕の第2場で歌われる合唱曲です。
オペラ全部を通しても、2時間ちょっとなので観てみるのもいいと思います。
オペラ「ナブッコ」は紀元前の話で、エルサレム(ユダヤ教の聖地)とバビロン(バビロニア国)が舞台の、宗教的な戦争が題材です。
バビロニア王ナブッコとその長女の軍勢がエルサレムを攻めます。
エルサレムの神殿では、ナブッコの次女が人質となっていますがエルサレム王の甥と恋仲です。
攻め入った長女も、この甥のことが好きなので「私の愛を受け入れるなら、民衆を助けてあげるわ」と愛欲ゆえの愚かさ丸出しの提案をしますが、完璧に拒絶されます。
攻められて困ったエルサレムの大祭司は、人質の次女に剣を突きつけナブッコに軍勢を撤退するように要請しました。
しかし、恋仲にある王の甥が考えもなく次女のことを救おうとしたので、計画が台無しになり、エルサレムの街と神殿は破壊されてしまいます。
次女の命は助かりましたが、王の甥は民衆から裏切ったことを非難されるのでした。
勝利したナブッコは助かった次女に王位を譲ろうとします。それは、長女が正妻の子どもでは無いからです。
このことを知った長女は悲しみそして嫉妬します。
そこでバビロニアの神官たちが
「次女は囚人にしたヘブライ人(ユダヤ教の民)たちを開放しようとしています。私たちがナブッコ王は亡くなったことにしますので、その間に王位を奪って下さい。」
と言うのです。
長女は王位を自分の物にするために動き、成功させます。そして、改宗して異教徒となった次女と囚人たちに死刑宣告をします。
もうナブッコでは止めることが出来ません。
思い上がっていたナブッコは神の怒りに触れたため雷に打たれて精神崩壊し、王位を退かなければならず、幽閉されてしまったのです。
一方エルサレムでは民衆たちが、美しい祖国への想いと信仰を奪われた苦しみを河畔で歌います。
これが「行け、我が想いよ、金色の翼に乗って」です。
「我が想いよ、金色の翼に乗って行くんだ。
行って休め、あの山や…あの丘に…、そこではきっと暖かくやわらかい故国の甘い風が香っているんだ!
ヨルダンの川岸や、シオンの丘の崩れた塔にも伝えてほしい。
嗚呼、失われた美しい我が祖国よ!嗚呼、これほどまでに懐かしく悲しい想い出たち!
運命の預言者が持つ金の竪琴よ、なぜ黙って柳の枝に掛けられたままなんだ?
胸に秘めた想い出に再び火をつけて、過ぎ去った日のことを語っておくれよ!
エルサレムの運命に似た、その悲しい嘆きの声を…。
そうでなければ、神による美しい音を奏でておくれ。
それが、我々の苦しみに耐えられる勇気を与えてくれるように!」 (ブー訳)
大祭司は自分たちの勝利とバビロニアの滅亡を予言して民衆を勇気付けるのでした。
幽閉されているナブッコは改心してユダヤの神に祈り、無事に忠臣たちによって解放されます。
そして次女を処刑から救い、長女から王位を奪還することを誓うのです 。
危機一髪ナブッコはみんなの処刑を食い止め、囚人にしていたヘブライ人たちを祖国へ返してあげることを約束し、ユダヤの神を讃えたのでした。
すべてに失敗した長女は服毒し、父と妹に許しを乞いながら亡くなります。
そして、ナブッコが「王の中の王」と讃えられながら幕が下ります。
オペラ全体では、信仰心を忘れなければ救われる日が来ることを表現した作品ですが、内容はイタリアと直接的な関係はないですね。
じゃあ、何でこんなに人気があるんだろう?
それは、この曲が美しい祖国を失った悲しみを皆で分かち合い、耐えながら歌われるからだと思います。
イタリアでこの曲が作曲された頃は「イタリア統一運動」の真っ只中でした。
統一運動とは1815~1871年まで行われていた、政治的・社会的運動です。
細かく分かれていたイタリアを1つにしようとした活動ですが、国を統一するために戦争をしなければいけない矛盾を感じるものでした。
その戦争でどれだけの人が血を流し、自分の故郷から去らなければいけなかったのでしょう。
このときの想いが「行け、我が想いよ、金色の翼に乗って」と重なるからイタリアでは人気があるんですね。
やっぱり…
この合唱曲はイタリアの式典などでよく使われます。
2006年2月26日のトリノオリンピック閉会式でも演奏され大成功を収めました。
皆で一緒に頑張るには、共感できる音楽が1番なんだな!