子守唄を聴いてよく眠ろう【その②】
ようこそ!ブーです。
昨日に引き続き、子守唄を紹介します。
オルゴールメリーなどのメロディが鳴るおもちゃに使われている曲は、海外の子守唄のものが多いですが、自分たちのお母さんが歌ってくれていた子守唄は、日本語のものだったのではないでしょうか?
ということで、【その②】は日本の子守唄についてです。
日本の風土と子守唄
日本の子守唄は「親が子どもに歌うもの」ではなく、幼くして故郷を離れた子守娘が歌い伝わったものが多いです。
昭和初期までは、貧困のために口減らしという風習があり、子どもが売られたり・奉公に出て働いたりしていました。
その中で子どものお守りとして働いたのが、7~15歳の若い子守娘たちです。
童謡「赤とんぼ」の“ねえや”も子守娘だったことがうかがえるので、探してみるとそういった曲は多く存在しています。
「赤とんぼ」のような曲を聴くと、若くて優しい“ねえや”を想像してしまいますが、子守娘として働く少女たちには過酷な現実もあり、楽しいことばかりではありませんでした。
故郷が恋しくなったり、雇い主からひどい目にあったりすることもあります。
子守唄は、そんな苦労や哀愁が漂うので人々の心に響き、現在にまで伝わっているんです。
日本の子守唄
「江戸子守唄」
江戸時代の江戸が発祥で日本各地に広まっていったので「江戸子守唄」と呼ばれます。
日本の子守唄と言えばこの曲が1番スタンダードです。
一般的な歌詞
ねんねんころりよ おころりよ
ぼうやはよい子だ ねんねしな。
ぼうやのお守りは どこへ行った。あの山こえて 里へ行った。
里のみやげに 何もろうた。でんでん太鼓に 笙の笛。
子守唄は芸術作品として作られたものではないため原曲の楽譜はなく、人から人へ伝わっていくものなので、上で紹介した動画の歌のメロディを聴いて『自分が知っているものとは、少し違うなぁ』と感じる人もいるのではないでしょうか。
1番の歌詞が有名で、「ぼうや」の部分を名前に替えた替え歌で歌われることが多いです。
「竹田の子守唄」
現在の京都府に伝わった民謡です。
フォークやロック歌手によってカバーされたことで、今でも人気があります。
歌詞の意味
お盆休みもなく辛いけれど、お盆が過ぎると秋が深まり、雪がちらつき寒くなって、また子供が泣きます。
お盆休みが来たからといって、何が嬉しいと言うのだろう。
きれいに着飾る服も無いというのに。
この子はよく泣いて、子守の私を苛めます。
奉公先の親から叱られないかと心配で、やせる思いです。
早く奉公の期間を終えて、奉公しているこの場所から、親の住む家に帰りたい。
向こうに見えてるのは親の家なのに、こんなに近くても奉公だから帰れない。
民謡特有の独特な言い回しや、曲調に哀愁を感じますね。
創作歌謡「揺籃のうた」
「揺籃のうた」は「ゆりかごのうた」という呼び名で有名です。
日本の子守唄の多くは地域に根付いたその土地特有のものが多いですが、「ゆりかごのうた」は創作された歌謡曲なので珍しいタイプの子守唄と言えます。
作詞は北原白秋で、作曲は草川信です。
その他の子守唄
有名なものでは、熊本県に伝わる「五木の子守唄」や、岡山の西南部に伝わる「中国地方の子守唄」、長崎の島原半島に伝わる「島原の子守唄」などがありますが、子守唄自体は日本の北から南まで津々浦々に存在しています。
自分が住んでいる土地の子守唄を探してみるのもいいでしょうね。
お母さんと子守唄
ブーは小さい頃とても泣き虫でした。(今でもよく泣きますが…笑)
幼稚園に入るまでは、大した事がなくても1日3回以上は泣いていたと思います。
小さい頃は、自分の思うように行動できなかったり・意見が通らないことが多かったので、それがとても理不尽に感じてスグに悲しい気持ちになっていたんですよね。
それでなくても兄弟ゲンカでは末っ子という事もあり、泣かされる側でした。
ケンカが終わると、お決まりのようにお母さんに泣きついていたことを思い出します。
泣くことって元々かなりの体力を使いますが、泣く回数と泣き声の声量が半端じゃないブーは、疲れてしまってよく泣きながら寝ていました。
そうすると、お母さんが子守唄を歌いながら背中をポンポンしてくれるわけです。
『ねんねんころりよ、おころりよ、ブーちゃんはよい子だ、ねんねしな』
子どもの頃の懐かしさもあるけど、泣きながら聴いていたから子守唄を聴くと涙が出るんだなぁ…。