「ピアノの魔術師」リスト【その①】
ようこそ!ブーです。
ピアニストであり作曲家でもあったフランツ・リストを2回にわたって紹介します。
今回はリストの生涯と人物像についてです。
リストの曲で好きな「愛の夢」です。聴きながら読んでね↓
リスト
Franz Liszt(フランツ・リスト、ハンガリー語ではLiszt Ferencリスト・フェレンツ、1811年10月22日-1886年7月31日没)はハンガリー出身で、ドイツやオーストリアを中心としてヨーロッパ各地で活躍していました。
通り名「ピアノの魔術師」!
娘のコジマは、ドイツの大作曲家リヒャルト・ワーグナーの奥さんです。
リストの出身地であるハンガリー王国は当時オーストリアに支配されていました。
その影響で、彼は長い間ドイツに住みドイツ語やフランス語を話して過ごしていたため(母国語であるはずのハンガリー語は話せない)、クラシック音楽の位置づけとしては、かなり複雑な存在です。
ドイツで音楽活動をしていた音楽家の多くが国民楽派と呼ばれる「民族的で母国愛に溢れた作品を好む」傾向にあったことに対して、リストはドイツに居ながらも出身はハンガリーで、しかも母国の音楽を理解しているとも言いがたかったので「国民楽派」には当てはまりません。
なので、彼のクラシック音楽的な分類は大まかに「ロマン派」の作曲家として認識されています。
生涯
リストは、お父さんの教育で幼少期から音楽を学び、10歳になる前にはすでに演奏会を行なっていたことから、音楽の才能を早くから発揮していたと言えます。
音楽の基礎は、練習曲でお馴染みのカール・ツェルニーやイタリアの作曲家アントニオ・サリエリなどの巨匠に師事していました。(羨ましい!)
若い上に才能もあって、リストの音楽人生は順風満帆かと思われましたが、人生とはそう簡単に上手くはいかないもので、15歳の若さでお父さんを亡くした彼はピアノ教師として家計を支えなければいけなくなります。
そんな逆境の中でも、音楽に対する向上心は消える事はなく、ベルリオーズ、ショパン、シューマン、グリーグ、フォーレ、メンデルスゾーンなど名だたる音楽家と親交を持ち、切磋琢磨していました。
そして、ヴァイオリンの名手ニコロ・パガニーニの演奏を聴いたことで超絶技巧に目覚め、自分自身もピアノの超絶技巧を目指すなど、音楽に対しての情熱を形にしていきます。
功績
作曲の面では、管弦楽によって演奏される交響詩という作品形態を確立しました。
交響詩は標題音楽の1つで「詩や絵画・風景や感情を音楽として描写し、聴き手がそれをイメージできるような作品」のことです。
そんな彼の作品は、印象主義音楽にも大きな影響を与えたと言われています。
ピアノ演奏では「暗譜」と言う技術を世に広めた人物です。
教育面では、1875年に「Liszt Ferenc Zeneművészeti Egyetemリスト・フェレンツ音楽大学」をハンガリーの首都ブダペストに創設しました。
リストは「アイドル」!?
身長185cm、端正な顔立ち、ピアノの名手という事で「常軌を逸した人気」の音楽家でした。
熱狂的な女性ファンが、演奏会で多く失神したり号泣したと言う逸話も残っているほど…。
その人気振りから、世界で始めて「ファングッズ・オリジナルコンサートグッズ」を売ったことでも知られています。
グッズは、彼の顔が書かれたチョコレートやステッキなど、意外と実用的なものを販売していたと言うので、商売のほうでも才覚があったようです。
ですが人気がありすぎて、ストーカー行為に遭っていたというのですから大変だったでしょうね。
彼の忘れていった手袋や汗を拭いたハンカチが奪い合いになったり、お風呂の残り湯を盗まれたり、彼の飲み残しの紅茶を香水瓶に入れて持ち歩く人がいたり、演奏旅行の見送り(追っかけ)で楽団つきの大型汽船をチャーターしたご婦人も居たとか…。
男冥利に尽きますが、絶対経験したくないと思うブーなのでした。
(しようと思っても出来ないか…笑)