「交響曲の父」ハイドン。
ようこそ!ブーです。
今日は、「交響曲の父」として有名なハイドンを紹介します。
音楽家としてのハイドン
Franz Joseph Haydn(フランツ・ヨーゼフ・ハイドン1732年3月31日-1809年5月31日没)はオーストリアの作曲家です。
音楽の歴史的には、バッハが活躍したバロック時代より後の「古典派」の時代に生きた人で、モーツァルトやベートーヴェンと同じくらいの時期に活躍しました。
交響曲や弦楽4重奏曲の先駆者であり、良い曲もたくさん書いたので「交響曲の父」・「弦楽4重奏曲の父」と呼ばれ、現在でもクラシックの重要な人物として学校でも習うことがあります。
(作曲した交響曲は104曲、管弦4重奏は68曲)
彼が作曲した弦楽4重奏曲第77番第2楽章で使われた皇帝讃歌「神よ、皇帝フランツを守り給え」のメインメロディはドイツの国歌になっています。
ハイドンはオーストリア人なのに、何でドイツ国歌にメロディが使われているかというと、題にもなっている「皇帝フランツ」がオーストリアで力を持っていたハプスブルク家出身のドイツ系の貴族だからです。
ハイドンの作品は、その時代に有った音楽のジャンルのほぼ全てを網羅していると言えるほど多彩なもので、歌曲・オペラ・舞台・室内楽・重奏・管弦楽・交響曲・ピアノ・民謡などを作曲しました。
なんと!その作曲数は未完成・断片・偽作・紛失したものなどを抜いても、700曲を超えると言われているんです。 (多いなぁ~)
一般的にハイドンの作品番号は、音楽学者のホーボーケンがまとめた「ヨーゼフ・ハイドン主題書誌学的作品目録」に付けられたHob.(Hoboken-Verzeichnisホーボーケン番号)が使われ、ジャンルによってⅠ~ⅩⅩⅩⅠ(1~31)のローマ数字で分けられます。
- Ⅰ=交響曲
- Ⅰa=序曲
- Ⅱ=4声部以上の嬉遊曲(ディベルティメント)
- Ⅲ=弦楽4重奏曲
- Ⅳ=3声部の嬉遊曲
- Ⅴ=弦楽3重奏曲
- Ⅵ=2重奏曲
- Ⅶ=協奏曲
- Ⅷ=行進曲
- Ⅸ=舞曲
- Ⅹ=弦楽器であるバリトン(ヴィオラ・ダ・ガンバの1種)の作品
- ⅩⅠ=弦楽器(バリトン、ヴァイオリンorヴィオラ、チェロ)の3重奏曲
- ⅩⅡ=弦楽器のバリトンを含んだ2重奏曲
- ⅩⅢ=弦楽器のバリトンのための協奏曲
- ⅩⅣ=ピアノ(チェンバロ)のための嬉遊曲
- ⅩⅤ=ピアノとヴァイオリンorフルートとチェロのための3重奏曲
- ⅩⅤa=ピアノ2台を使う曲
- ⅩⅥ=ピアノソナタ
- ⅩⅦ=ピアノの小曲
- ⅩⅦa=ピアノの連弾曲
- ⅩⅧ=ピアノの協奏曲
- ⅩⅨ=オルガン時計(Flötenuhr)の小曲
- ⅩⅩ=キリストの「十字架上の七つの言葉」をオマージュした器楽作品
- ⅩⅩ-2=ⅩⅩの合唱バージョン
- ⅩⅩⅠ=Oratorioオラトリオ(日本では聖譚曲と呼ばれる)演奏規模が大きな宗教曲
- ⅩⅩⅡ=ミサのときに使われる宗教的な声楽曲
- ⅩⅩⅢ=それ以外の宗教的な作品
- ⅩⅩⅣ=管弦楽が伴奏のカンタータ・交声曲(大規模な声楽曲)とアリア・独唱曲(切なさや感動などの気持ちを歌う小曲)
- ⅩⅩⅤ=2声部、3声部、4声部に分かれている歌曲
- ⅩⅩⅥ=ピアノ伴奏の歌曲とカンタータ
- ⅩⅩⅦ=宗教的なカノンと世俗的なカノン(Canonカノンは1つのモチーフとなるメロディを使って、声部ごとにいろいろと展開させる曲。輪唱に似ている)
- ⅩⅩⅧ=オペラ
- ⅩⅩⅨ=ジングシュピール(Singspielはドイツの歌芝居で、小規模なオペラのような物)
- ⅩⅩⅩ=劇付随音楽(劇に使われるBGMのこと。雰囲気を伝えるための曲)
- ⅩⅩⅩⅠ=スコットランド民謡を編曲した曲、ウェールズ民謡を編曲した曲
曲数が多いので、こういう風に分けてあると少しは探しやすいですね。
交響曲第20番だったらHob.Ⅰ:20、ピアノソナタ第35番だったらHob.ⅩⅤⅠ:35という風に書かれ、ほとんどの作品はこのようにHob.が使われています。
ですが一部のピアノ曲などは、一般的にどの作曲家にも使われている作品番号op.(オーパス番号)が使われることもあるので注意しましょう。
ハイドンの生涯
音楽学校の6歳頃から音楽の才能を認められて音楽の勉強を始めます。
8歳から音楽の都ウィーンに住んで聖歌隊として声変わりする17歳ごろまで働きました。
そこでプロの音楽に触れ、音楽家としての厳しさも学びます。
声変わりのため聖歌隊を辞めてからは、音楽の知識を補うために猛勉強をし、宮廷楽長の仕事を経て、交響曲・弦楽4重奏曲・オペラなどの作曲と、演奏の指導をして生計を立てました。
その質の良い音楽と、作曲数の多さからたちまち有名になり、ハンガリーの貴族で大地主・事業家でもあるエステルハージ家の楽長になります。
楽長とは、雇われ先で行なわれる音楽の全てを取り仕切るトップの役職のことです。
雇い主であるエステルハージ侯爵が亡くなるまでの約30年近く、人生の大半ともいえる時間を過ごしました。
エステルハージ家を去ってからも作曲の意欲は衰えず、病気になって作曲が出来ないほどひどくなるまでは精力的な音楽活動を行なっていたんです。
作曲が出来なくなった晩年は、自分が作曲したオーストリアの祝歌をピアノで弾いて、「もっと音楽がしたい」という気持ちを慰めていました。
ハイドンの77年の生涯は、若い頃は音楽にあふれて忙しく、晩年は病気のためであっても自分の音楽を味わえる人生だったようです。
ハイドンの音楽も良いもんだなぁ。
ブーは、「古典派」時代の音楽よりもラヴェルやドビュッシーなどが活躍した「ロマン派」時代の音楽が好きです。
でも今回、ハイドンのことを調べるために音源をいろいろ聴いてみたら「あれ?ハイドンの音楽って分かりやすいな…。なんだか聴いていて頭がスッキリするぞ!」って感じがしました。
曲数も多いので、これからは勉強や事務作業などの時にはBGMとしてオススメしたいと思います!